覚悟の瞬間・井内清志

『覚悟の瞬間』に取材されました! 

12年11月をもっと放送終了しました。視聴ありがとうございました。

井内清志 (いうちきよし)
1958年1月17日 岡山県生まれ
福山大学工学部建築科卒業。卒業して、4年ほどその大学の技術助手をし、その大学校舎及び姉妹高の新設の計画に参加する。その後、建築家・喜多村幸夫に師事し住宅を手掛ける。2001年アトリエSORAを設立。「住宅は道具である」家は生きているための道具であるという事をベースに、今は全国各地で考えを共有できる工務店と一緒に家を創っている。著書に「ソラマドがある家」、「SORAの家」がある。

 

【幼少~学生時代

父が大工で幼いころから、仕事場やいろいろな現場に連れていってくれたのを覚えています。小学校低学年頃から、木くずを使って遊んでいました。夏休みの宿題の工作が楽しみで、大きな物ばかり作っていましたね。また、ほとんど毎日の様に絵を描いていました。絵といっても、漫画みたいなもので立派な絵画ではありません。学校のノートや教科書も落書きだらけだったように思います。外で活発に遊んでいた方ではありませんでした。


【建築家の道へ進んだきっかけ

父と同じ大工になろうと思い、工業高校に行ったのですが、高校3年の秋にたまたま、近くの大学で建築学科の新設のポスターを見かけ、急に方向転換して、その建築学科に行きました。そこで、僕の師匠である喜多村幸夫氏と会う事ができ、卒業しても、そのまま大学に何年かいて、建築家を目指そうという意識が芽生えてきたのだろうと思います。しかし、そこから10年間はとても苦しいものでした。苦しければ苦しいほど建築家への憧れは増すばかりでした。しかし、どこにも勤めることはなく設計という仕事をしてきました。



【覚悟の瞬間

やりたい事ができない中でもがいているうちに、自分の家だったらできると思い、周りの人の助けをもらい、自邸を建てることができました。そして、その家が日本建築学会の作品選集に選ばれたことで、建築家への憧れと、建築家として有名になりたいということで、頭がいっぱいになりました。そして、今から10年ほど前にある施主との出会いがありました。その方の家をつくったことを機に、仕事が入ってくるようになり、建築家への憧れから、建築の面白さ・怖さを知り、人の暮らし・生き方を強く考えるようになりました。


【今後の目標

世界に通用する強いチームを作るつもりです。それは役に立つ、人を惹きつける魅力を生み出す場を作る事ができるチームです。それは、死にそうな場所を蘇らせるという事がこれからの時代、環境では特に必要な事だと考えます。ひとつのチームが色々な場所に行ってできるという事はありません。それぞれの場所で地域密着型のチームを作る事だと思います。地域の職人、材料、暮らす人達がチームを作っていくのです。



【日本のアカルイ未来のために

当たり前だけど考える事は、とても大事なことです。しかし、考え頭を使い理論を組み立てるだけでは机上の空論になりやすいもの。特に日本人は行動、作業が伴ってない様に感じてなりません。そして悩んでしまっているのではないでしょうか。体を動かし、もっともっと行動してみましょう。


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